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commonplace

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富士山山行報告。

富士山山行報告。

2004年9月8日~2004年9月9日
企責:Sわ
プロデュース:Sわ
その他いろいろ:Sわ
全責任:Sわ
参加者:Sわ、T哉、自分



富士山へ。
我々はあなたのことを軽視していました。あなたは日本一の山です。無計画な登山は無謀でした。どうか、次こそは頂上に我々を立たせてください…。

松屋のカレーは私に生きている喜びを感じさせてくれた…。

そもそも、この山行にはおかしな点がたくさんあった。Sわから予定がメールで送られてきたのは日付変わった出発当日の12時過ぎであった。それによれば、集合は新宿に11時45分らしい。
11時45分に3人集合。Sわは12時半発のバスを取っていたのだが、それでは富士山の5合目にはかなり早く着いてしまうだろう。しかも、Sわは往復割引で乗車券を購入していないことも判明。で、14時発のバスに変更。往復割引も使えた。
時間が余ったので、カラオケ。なんかおかしい。Sわが色っぽい声で歌っていた。カラオケを出て、Sわは松屋に消えた。
14時。ようやくバスが出発。Sわのホームキャンパス、駒場の前をバスが通り、Sわの進学の話などをしたせいで、バス内では寝れなかった。これから徹夜で登るというのに、不安である。途中、東名O井、東名O山(漢字で書くとK山と同じ)などというバス停を通過し、15時半過ぎ、定刻に御殿場駅に到着。しかし、周囲を歩いても食事をするところなど無い。仕方なくセブンイレブンでおにぎりなどを買って、ローソンの前で食べる。御殿場駅前でなお時間があったので、Sわが女子中学生を東京に連れて行こうとするが、T哉と自分で必死に止める。
17時。タクシーで御殿場口新5合目に向けて出発。我々としてはタクシーの運転手に、「え~、こんな時期に登るの!?」と驚かれることを心配していたが、意外にも、「君らなら大丈夫、行ってらっしゃい~」的な雰囲気。で、安心したが、これが後々間違いだったことを思い知らされる。
17時半過ぎ。御殿場口新5合目に到着。18時頃出発にし、その間、出発写真を撮ってもらったりする。しかし、御殿場口は他の登り口に比較すると寂れた雰囲気だった。テク人たるもの、出発前にオーダーを決める必要がある。テーマは、「○っ○ーに好かれそうな順」ということで、何人かのテク人に電話をするがなかなか繋がらない。仕方ないので、期待を裏切らない某3女に電話をし、彼女によって、自分・T哉・Sわという順が決定される。まあ、妥当である。
18時15分。予定を少し遅れたが、出発。それでも余裕でご来光は間に合うはずである。頂上までは歩程6時間20分。ご来光が朝の5時だとしても、これを11時間もかけて登らなくてはならない。余裕のはず…これも誤算であることを後に知る。これから先は富士山の地図でも見ながら読んでいただきたい。
なお、御殿場口は下山ルートとして使う人が多く、登りではマイナールートであること。河口湖口の5合目は2300mあるのに対して、御殿場口の5合目は1400mしかないこと。御殿場口の5合目は、登山口のあるところということで便宜上ついているもので、実際には2合目であること。よって、山頂に着くためには約2300mのアップがあること。そして、御殿場口から登ることを決めたのは、Sわの独断であったこと、などを頭に入れておこう。
登り始めのころ、周りは少しずつ薄暗くなってきていた。それほど寒くなく、Tシャツでちょうど良いくらいだった。大石茶屋にはすぐに到着、暗くなってきたのでヘドラを頼りに進む。ここからはブルドーザー道に沿った登山道を進む、はずだったが、今思えば間違いなくブルドーザー道を登っていた。単調な道をひたすら進む。1組だけ下山してくる人とすれ違った。このころはまだ美しい星空を眺める余裕もあったなぁ…。新5合目5勺と推測されるところで登山道に戻る。登りの間はずっとそうだったのだが、暗闇の中では自分たちの位置が全くわからず、不安であった。暗闇の中で正常な判断ができないことも思い知った。そのため、幾度と無く判断ミスを犯した。
5合目5勺を過ぎてからはジグザグに登山道を登っていく。暗くて道はわかりにくい。踏み固められた道とたまにある看板だけが頼りである。このころから風が少しずつ強くなり、服も少しずつ着込んでいった。そして、どこからか我々は進むべき道を見失い、ブルドーザー道に入ってしまった。しかし、暗闇の中、風も強く思考回路はショート寸前。我々は下山道の大砂走りに入ったと勘違いしてしまった。今思えば、大砂走りはあんな道ではないはずなのだが。これが大きな誤算であった。ブルドーザー道は直線で急である。登るスピードは急激に落ちる。そして風も強くなる。何時間登っただろうか。あるところで、登山道に合流した。自分らが下山道を逆行していると思い込んでいたので、登山道と合流したのが7合目であると思い込んでしまった。小屋がなかったのが不自然だが。しかし、実際に登ってたのはブルドーザー道であり、登山道と合流したのはまだ5合目と6合目の間くらいだったと推測される。(ブルドーザー道もエアリアに載っているが、薄く書かれているので暗闇の中では自分らがブルドーザー道を登っているとは考えつかなかった…)この時点で4時間ほど歩いていたと思われる。
しかし、歩けど歩けど小屋の姿が見えない。7合目の小屋を見落としたとしても8合目の小屋があるはず。しまいには、Sわがシーズンオフには小屋は撤去されると言い出した。確かに、冬には雪が大量に降るし、ブルドーザーが入れるのだからそれは可能だ。思考回路がショートしてしまった我々は、小屋は撤去されたからもう頂上まで何も無いと信じ、進むことになった。
そうとなると、もう8合目は過ぎたくらいだろうか。このままでは頂上に早着してしまう。寒くて頂上には長くいられないだろうから、ここで時間調整しよう。日付変わった午前1時頃、我々は30分ほど立ち止まった。風はやむことなく、体はかなり冷える。セパレを着て、ザックを盾にしてなんとかしのぐ。ここで、もし山頂に早く着きすぎてしまったら、下りの8合目あたりでご来光を見ようという話も出た。今思えばとんでもない話だが。
誤算に最初に気づき始めたのは、「7合目」と書いてある小屋を見つけたときだ。さらにそこを通過後、8合目まで50分、という道標に出くわした。そして、逆にご来光までに山頂に着くのがギリギリの状態であることを知った。しかし、風は強くなる一方。体は冷え込み、進む速度はかなり遅くなった。途中、いくつかの小屋を通過した。やはり、撤去されるなんてことはないようだ。通過した小屋を見ても、8合目の小屋はなんとか通過していたと思う。もはや風に逆らって、ただ頂上を目指すのみ。しかし、おそらく9合目のあたりであろう、ついに強風で我々は一歩も前に進めなくなった。日の出を待てば風は止むであろうか、いやその保証は無い。我々は剣ヶ峰を諦め、ご来光を諦めた。時はすでに午前4時を回っていた。我々の体力も限界に近づいていた。この風ではもはや前には進めない、むしろ命の危険さえある。ついに我々は山頂を諦めた。
東の空が少し明るくなるのを待って、我々は下山を開始した。下りは早かった。風はやはり強かったが、何とか下山できた。登りのときは暗くて見えなかったところが、明るくなっていろいろ分かった。大砂走りは楽しかった。下りのときの話としては、Sわのエアリアが飛ばされた。T哉が追いかけたが、結局遥か彼方に消えていった。
御殿場口の登山口に戻ってきたのが朝8時15分。実に14時間歩き続けであった。それも登り11時間、下り3時間。エアリアタイムで6時間20分のところを11時間かけても登りきれませんでした。それでも、2000mは登っただろう。Up2000、Down2000。命の危険も感じたが、今となってはよい思い出である。勉強になりました。さすが、王者富士山でした。
さて、御殿場口からタクシーで下り、温泉会館に行った。開店10時のところ、9時についてしまったので、玄関先で1時間寝ていた。さすがに疲れていた。温泉は気持ちよかった~。富士山はすでに雲の中だったけれども。温泉会館前からは直通のバスで新宿へ。ほとんど寝ていた。Sわは向ヶ丘でお別れ。
帰りに、松屋でカレーを食べて帰った。これほど松屋のカレーが美味しかったこともない。
来年こそは富士山の山頂に立とう、と誓い合った。夏のシーズンの昼に、河口湖口から登って一泊して…。


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